志賀 |
そう、「感じる」ということがポイントですよね。「考える」ことはもちろん大切だけど、そろそろ「考えない」で「感じる」、それも正しく感じるような脳の働きにするといいですよね。そのためには練習のときに徹底的に考える。試合では何も考えずにプレーできるように徹底的に考えて練習する。そうすれば無心で試合に臨めるでしょ? |
小久保 |
そこは難しいですよね。「よく考えてプレーしろ!」って叱られますから。 |
志賀 |
人間の行動にはフィジカルとメンタルな面があるじゃないですか、特にスポーツは顕著で、それがうまく合致すれば成果が出ますよね。ところがオリンピックでもそうだしご自身でも体験されているでしょうが、フィジカルとメンタルだけではない、何か劇的なスピリチュアルなことがあるでしょ?野球の女神が微笑むとか、ヒーローになる選手には「なんでこの場面が自分に巡ってくるの?」というようなことがあったり。 |
小久保 |
ええ。それは結構ありましたね。 |
志賀 |
このスピリチュアルな現象は、まだ科学が手がけられない世界ですね。「考える」ということはフィジカルとメンタルの接点を調整する。それはそれでいいけどスピリチュアルとメンタルの接点に壁を作ってしまう。そこで「考える」ことから「感じる」ことへ切り替える。感じるっていうのは理屈なしだから「うまくいきそうな気がする」となる。それを感じるためには「無心で臨む」しかない。ただ残念ながら今の科学で証明できない。 |
小久保 |
なるほど。 |
志賀 |
幸い最近の認知科学が少しずつスピリチュアルな現象も科学的に扱おうという動きもあるんです。そういうのを見ていると、スポーツの世界はメンタルな部分も大事だけどもスピリチュアルな部分がもっと大事という気がするんですね。感動を与える立場ですから。小久保さんご自身もものすごい感動体験をお持ちじゃないですか。私が知っているのは、ダイエー時代に大ケガで一年間棒に振って、巨人に移籍してその復帰の最初のオープン戦で3月6日だったかな、ホームランを打ったでしょ? |
小久保 |
そうです!人生の中であのホームランだけは自分の力ではないって思いました。「あれは野球の神様からのご褒美だ」と思えたんです。あり得ないですもん、3月6日にケガをして次の年の3月6日に福岡で試合がある事も不思議ですし、僕はジャイアンツのユニフォームを着て、しかも一番可愛がっている斉藤和巳がピッチャーじゃないですか。こんなことはあり得ないです、そこでホームランを打てたんですから。「一年間リハビリをアメリカでコツコツ頑張ったご褒美としてこのホームランを貰えたんだな、ありがたいな」という思いが強くて、あの時は「嬉しい」というよりも「野球の神様がいるんだ」という感覚の方が大きかったです。後にも先にもあの1本だけです。 |
志賀 |
そのドラマへの前触れが巨人への移籍でもあったわけでしょ? そして巨人とダイエー(当時)との試合が組まれて、しかも福岡ドームで! |
小久保 |
しかも一番可愛がってる斉藤和巳からホームランを打ったわけですから。 |
志賀 |
これは・・・ スピリチュアルな世界のストーリーですね。すごいなぁと感じました。でも「これは後にも先にない」と思っては駄目ですよ。これからもいっぱいあるので(笑)。 |
小久保 |
はい(笑)。 |
志賀 |
スピリットって、「ファイティングスピリット」とか「パイオニアスピリット」とか英語ではよく使いますよね。闘魂とか開拓者魂かな、意欲が湧き出てくる感じ、マグマが湧き出てくるという感じ。よく「霊的」とか表現するけど、それではおどろおどろしい感じになってしまう。「目に見えないところから湧き出てくるエネルギー」というような感じがスピリチュアルというものの本質のような気がしますけどね。だから社寺仏閣でいかに祈っても、お供えしても、その根源には触れられない。基本はフィジカルにもメンタルにもしっかり磨き上げられた人にのみ乗り移るものだと思うんです。 |
小久保 |
なるほど。 |
志賀 |
あと、小久保さんは勉強家だから本もよく読むし、色々体験もされている。野球以外にどんなことに興味をおもちですか? |
小久保 |
う~ん、そうですね、僕は「ストイック」というか「ドM」というか(笑)自分を追い込むのが結構好きで、志賀先生に「修行に行きたいからお寺を紹介してください」と相談したときに、お寺ではなくて内観を紹介してもらったじゃないですか。動機は不純でしたが、僕は内観で1週間座ったら自信になると思って、あんな環境に自分は1週間も行ったんだよっていう自信が欲しくて行きました。 |
志賀 |
最初は辛かったでしょう? あんな狭い所に閉じこもって、日ごろ体を動かしているスポーツ選手がじ~っとしているんだから、拷問みたいなもんでしょ?(笑) |
小久保 |
最初は確かに(笑)。内観のプログラムの中に「0歳~3歳までの自分を調べる」というのがあるんですが、最初は「そんな記憶があるわけない」と思うじゃないですか。でもやっているうちに最初は全く思い出せなかったんですが、だんだん思い出せるようになってきて、まずそれが不思議でした。そうしたら小さい頃のふとした思い出が沸々と出て来る中で、昔母が毎日用意をしてくれたお弁当のことを思い出したんです。 |
志賀 |
愛情のこもった手作りのお弁当でしょう? |
小久保 |
そうなんです。その中に必ず僕の大好きな鰹節を入れてくれてたんですね、白いご飯だけなら楽じゃないですか、でもごはんとごはんの間に僕が好きな鰹節を醤油につけて入れてくれて、そのごはんの上に梅干しを置いてくれていたんです。それって手間が掛かるじゃないですか、内観をしていてそういうことに気づき出したんですよ。母は薬剤師の仕事で朝早くから出ていって働いていたんですが、夜中も夜間勤務があって、そんな時は夜中寝ないで会社に行っていたんですよね、それが月に一回はあって、それでもちゃんと弁当を作ってくれたなっていうのを思い出した時にはすごい愛情を感じました。そういうのって内観に行かない限り、全く思い出さないまま通り過ごしていたと思います。そこで「母親って偉大やな」とつくづく感じられました。 |
志賀 |
同じような体験をされた方が大勢いて、今まで全く忘れ去っていた宝物、それに触れて喜びというか、お母さんを憎んでいた人でも、子供の頃のお弁当を思い出して憎さが消えていく、むしろ感謝に変わる、そういう部分もありますよね。 |
志賀 |
う~ん、確かにそうですね。いまは科学が万能の時代だから・・・、科学の限界を十分に知っているはずの科学者ですら、自らのスタンディングポイントを忘れていますね。もっと心配なのは、芸術の世界、音楽や絵画、陶芸などは、経済的に採算が合わないので衰退しかかっていますよね。すでに消滅しつつある絶滅危惧種は匠の世界でしょ? お寺にある国宝級のふすま絵や屏風などの作品はデジタル技術を使ったレプリカに置き換えている。本物は温度と湿度をしっかり管理できる倉庫に保管する。風化を防ぐために仕方がないといわれますが、それでは、私たちは本物に接するチャンスがない。やはり本物に触れることが大切で、偽物を観て感動する「感」を養っても意味がありませんよね。先生のおっしゃる「知」の世界にひたすら走っていますね。仮に名作が壊れて消えたとしても、お父さんが「昔はすばらしい作品があったんだよ」と子どもさんに伝えればよいのではないでしょうか。本物は保存するのではなく「観」なければ意味がない。 |
大野 |
そうですね、そして「観る」感性を育むことが重要になります。私は、家にいますと朝の目覚めからお抹茶をいただきます。一日に何杯も飲みます。来ていただいた方にもこのお茶碗はこの方に合うかなとお出ししたり、時にはお選びいただいています。「古いお茶碗ですか?」と質問されることがよくありますが「桃山時代のものです。400~500年経っています」「え~、壊れたらどうするのですか」「そりゃあ壊れるかもしれませんね。でも壊れたら壊れたでいいんです。ていねいに直して使ってやると、傷が一つの歴史になりますよ。」とお話すると驚かれます。茶器はお茶を飲む道具ですから、茶碗は茶碗として使ってこそ活きますし、使うことによってエネルギー交信ができるのです。「観」の世界です。 |
志賀 |
そこ、そこなんです。いま交信をしているとおっしゃいましたが、交信しながら脳が共鳴し共感する。そのことが大切だと思います。いいもの、本物と共鳴し共感できる脳が新たな本物を創る。そのことが検証できれば問題ないのですが難しい。デジタル技術を駆使すれば本物そっくりの偽物を作ることができる。しかも困ったことに極めて経済的なので、あっという間に広がる。なんと文化庁までデジタル化を奨励している。子供たちがそれを見せられたのでは本物を観る力は育たない。CGで感動しアイボで癒されるようになってしまっては人間でなくなる。いまヴァーチャルリアルティーの技術分野は人気で格好がよく見えますが、あれって「偽物」の技術ということですよね。本物は高くつくので安い偽物で我慢しよう。その方が合理的ですよね。しかも困ったことにヴァーチャルな方が魅力的になってしまう。そこが脳の学習効果の怖いところです。それで何が悪いの? と開き直られると何も言えなくなる。でも先生は著書「観る」で見事に、「それでは駄目なんだ!」と強く主張されている。 |
大野 |
こういった考え方は知識として得たことではなく全て体感から導いたことなんです。ですから論理的に筋道をつけて語ることもできますが、結局は感じ取ることによってしか本質に届かない。書物は入り口であって、体感に至る手段が求められることになります。求めるべきもの、それは東洋的な全体性に基づく深い存在バランスなのです。それはなんら特別なことではないのですが、「感」即ち「観」としてとらえ得るものですから、実感できている方は少ないと思います。宇宙的な表現世界に身を置いているから体感できているということでもないのではないでしょうか。「全体世界」と繋がった声や楽器の音は、心に空間性が確立され開かれた状態において現れますが、よいバランス状態の音の波動と、内面が閉じて孤立し固まっている状態、即ち心の空間性の確立されない状態の音の波動とで100とゼロほどの違いがあります。洗練された耳にはその違いがはっきりわかる。私は物理のことはわかりませんが、いまの音の概念では、そういった違いが数値化できないんですね。 |
志賀 |
それは残念ながらできません。物理の世界では数値化できないものは扱えない。私は、数値化できないのではなくて、数値化する技術がまだ開発されていないだけだと思います。知人の佐治晴夫氏ですが、いま鈴鹿短期大学の学長をしていて、本業は理論物理学ですが作曲をしたりパイプオルガンを演奏したりの多才な人で、密かに数理芸術を構想しています。やはり同じ思いなのですね。必要となれば技術はいくらでも進歩しますが、世の中はまだ必要なのだと気がついていない。必要だと気がついたときにはもう手遅れかも知れませんけどね。 |
志賀 |
ところで先生はバランスがとれた状態を常に意識されていらっしゃるのですか。 |
大野 |
いえ意識はしていません。どうすればバランスがいい状態になるのかということの道筋は自分の中に明確にありますが、意識をすると囚れてバランスは壊れます。私のところに来て一緒に勉強している人たちは、みんな自然なバランス状態になって行きます。一人でやると元に戻ることもありますが、繰り返す内に確実に上達します。 |
志賀 |
そうですか。トレーニングや体感を積んでいくと感じとれるようになるのですね。 |
大野 |
現在までの結果では、多少の差はあっても誰でもがその方向に進化しています。難しいことじゃないんです。ただ、社会の現実に合わせて、みんなが向かっている方向に流れると永久にそうはなりませんね。このままいくと「感」が閉じて人間は確実にロボットになりますよ(笑)。 |
志賀 |
経済成長がいまの政府の最優先課題ですから・・ みなの関心事も経済成長で、そのためには合理化しかありません。でも、合理化すればするほど不合理な結果になるんですよね、皮肉なことに。逆に不合理なようにみえることが、極めて合理的になることが多々あります。そういった現実を変えるには東洋的な日常生活を基本にすればいいのでしょうが、気がついてみると周りはほとんど合理的に整理されて西洋化してしまいましたね。私の子どもの頃は仏壇があって、正座して手を合わせ、お祈りをする。こんな光景はどこにでもありましたが、いまは仏壇のない家の方が多いでしょ? 都会のマンションの間取り図を見ると、仏壇はどこに置くのかな?と頭を傾げてしまう。食事も家族揃っていただくことが当たり前だったのに、仕事や塾で時間が合わないからバラバラです。東洋的な自然体を生活の中で身につけることは現代社会では難しそうですね。 |
大野 |
そうですね。美の視点で伝統世界を見ると、四季に移ろう美しい自然の中で文化を育み続けた日本は、東洋的な全体性の感覚を確かなものとして持続し、循環の営みを実現し得た希有な国であり、その感性は世界一といってもいいと思うのです。しかし、いまの日本人は、その感覚を失ってしまいました。ごく一部、沖縄に行きますと今だ、見えないものを観る感性が残っていますが・・ やはり、日本は本質的な視点を見失って混乱している。「知」と「感」のバランスが完全に壊れてしまっているんですね。私は、自然な声を求め続けた結果体得した呼吸法と内観共振法で心と体のバランスを、きちんと整えることができるという確信に至りました。心と体の正しいバランスから「知」と「感」の調和が導かれるのです。 |
志賀 |
歌うのですか。 |
大野 |
いいえ、誰でもできる単純な発声です。譜を読みなれていない場合、音程や音階に捕らわれてしまうと声が出なくなるので歌ではなく発声がいいですね。考る前に感じてもらい、内面の状態を探っていただくんです。実質的なことをいえば、胸郭を広げ、内面の空間性を感じ取れるようにする。その内面に声を合わせるのです。通常は外界、即ち見える世界に囚われている視点を、内面、即ち見えない世界に向けてバランスを取るのです。驚くほど顕著に効果が現れ私自身、いつも驚かされます。今後は、それを多くの人にいかに伝えるかが課題だと思っています。学校などで子供達に伝えることができるといいのですが、まだ、教えられる人がいないので、先生を養成せねばなりません。子どもは捕らわれなく純粋ですから、バランスをわきまえた大人が関われば、そのままバランスのよい状態で育つと思います。学校だけでなく家庭も大切ですね。先生と子どもと親、みんなで学ぶ体制ができれば世の中が変わる可能性が充分あると思っています。今大人になって、心のバランスを崩す方が大勢いらっしゃいますね。そういう方に論理的にお話すると、閉じているので聞き入れることができず逆にストレスになると思うんです。簡単に声を出していただき、バランスを調整する方法を取ればストレスがかかりません。そしてある程度癒えたところで、今度は言葉で論理的説明をすればよりよく解り、さらに進んで回復に向かうのではないかと思います。今の時代、病気だと世間では言われなくても、ほとんどの社会人は閉じて孤立していますからね。 |
志賀 |
そうですね。最近ではうつや意欲喪失、ニートも増えて社会問題になっています。大学や高校を出て、せっかく会社に入っても、自分に合わないと、1ヶ月も勤められない人が多くなっているそうです。会社では、採用するに関しても費用もかかりますから、できるだけ辞めさせないように対応するためにわがままを助長して悪い方向に進んでしまう。原因は、幼児期や小学校時代の過ごし方の歪みが出てきているのではないでしょうか。私たちが行っているイプラスジムでの練習や先生のおっしゃるバランスを幼い頃から教えられればいまのような事態に陥らないような気がします。イプラスジムのトレーニングを導入した専門学校ではいい成果を上げていますから、普通教育の中にも取り入れて欲しいですね。できれば小学校とか・・・。 |
大野 |
子供に内観共振法をやると、情緒が安定して、脅威的に集中力が増すと思います。当然感性も豊かになります、そして大人も。まず私達日本人が本来のもの即ち東洋の全体性を取り戻し世界に発信せねばなりません。ある意味人類は限界点に来ています。地球と人間の調和と共生を実現するために、「知」と「感」を一つに結ぶ東洋の全体性が求められる時代がきていると言えそうです。東洋の時代というその意味は、経済だけではなく、地球と人類の共生のために東洋の全体性に基づく立ち位置の確立の必然性があるという意味で捉えるべきでしょう。もう一度人と自然の調和を踏まえた営のかたちを取り戻さなくては、人類は近い将来確実に滅びるのではないでしょうか。 |
志賀 |
おっしゃる通りです。いまは経済が優先ですから利益が評価の尺度です。確かに利益が上がれば経済的に潤い、そのゆとりで格差是正や福祉がいきわたり、みなが幸せになる。理屈はそうかも知れませんが、現実には格差はむしろ広がり福祉もカットされる。本来はみなの幸せが目的で、その手段として経済成長が必要だった。ところがいつの間にか手段が目的に変わってしまい、そのための手段は自由。そして利益が評価の尺度になってしまった。利益は数字で評価できるので、ある意味では公平ですが、数字はいくらでも操作できます。賞味期限や産地の偽装、捨てるものまで再販すれば利益は上がります。隠し通せばいいと考えているのでしょうが、人間の心はそれを許すことができず、どこかで破綻します。老舗の料亭がごまかしで利益をあげ、つぶれていくのを見ると悲しいですね。せっかくの人生ですから、満足、喜びを味わいながら過ごしたいと誰もが思っているはずです。幸せの実現が目標であって、それを達成したときの喜びが想像できるからこそ頑張れる。ところが利益が目標になってしまうと、それは数字の世界のことですから心からの喜びが湧き上がらないし歯止めもない。後ろめたいことをすればするほど数字は増えて見かけ上の利益も上がるけれど心はむなしい。こんな仕組みの中で人生の貴重な時間を費やすのはもったいないですね。もう一度原点に戻って、本当の幸せとは何なのかを考える必要がありますね。カールブッセの「山のあなたの空遠く・・・」には幸せは無かったが、メーテルリンクの身近に幸福の青い鳥がいた。そんな気づきが大切だと思うんです。まずは日常の中に喜びを見つけ満足する。そしてさらに高い目標への階段を登るために喜びと満足の幅を広げていく。 |
大野 |
そうですか。トレーニングや体感を積んでいくと感じとれるようになるのですね。 |
志賀 |
そうですね。実はいま大学院で脳波の研究を行っていますが、頭のどの部位に電極をつけるかによって脳波の信号はかなり違っています。体が感じて動きたいという部分は体性感覚野と運動連合野ですし、意識でコントロール働きは左脳の前頭連合野です。先生のおっしゃる通りほとんどの人はこれらの部位の脳波はシンクロ(同調)していませんね。意識が体を支配し命令して、体は嫌々行動しているみたいで、心と体がバラバラです。でもシンクロするときもあります。いい気分で動いていたりとか、体にまかせて動いたり・・・ 自然の動きでしょうか。もっと興味あることは、人と人との脳波でシンクロするときがあります。以心伝心とか阿吽の呼吸でしょうか、そんなときにお互いが癒しあえるのかな?と思っています。 |
大野 |
そのお話は体感と重ねるとよく理解できます。見えない世界の真実は見える世界の真実とシンクロするはずですよね、真理は一つですから。今日お話したことは超能力でも何でもないごく自然なことですよ。病気治せますよと宗教的な活動をしている方もいらっしゃいますが、自然治癒という言葉があるように、人間は地球の一部、自然と一体のものですから、心と体の自然なバランスが整えば病気が治るのは当たり前です。宇宙の彼方まで全て繋がっています。自然の法則のもとに全てが一つに結ばれている「一」という全体性のもとに個が成立する。という東洋的な全体性を踏まえて人間界が営まれないと、上手くいくはずがありません。宇宙に浮かぶ地球の一部として私達人間が生まれたわけで、人間が地球を造ったわけでもないのですから・・・(笑)。「知」と「感」の絶妙な調和が求められるところです。競争は力の世界です。調和の響きは力の世界を越えたところにこそ存在します。 |
大野 |
そうですね。美の視点で伝統世界を見ると、四季に移ろう美しい自然の中で文化を育み続けた日本は、東洋的な全体性の感覚を確かなものとして持続し、循環の営みを実現し得た希有な国であり、その感性は世界一といってもいいと思うのです。しかし、いまの日本人は、その感覚を失ってしまいました。ごく一部、沖縄に行きますと今だ、見えないものを観る感性が残っていますが・・ やはり、日本は本質的な視点を見失って混乱している。「知」と「感」のバランスが完全に壊れてしまっているんですね。私は、自然な声を求め続けた結果体得した呼吸法と内観共振法で心と体のバランスを、きちんと整えることができるという確信に至りました。心と体の正しいバランスから「知」と「感」の調和が導かれるのです。 |
志賀 |
そうですよね。本当にそうだと思いますが、人間はどこで舵を取り間違がえたのか、ここまで来てしまいました。戻りましょうと呼びかけても、激しい流れに流されて行動に移せていない。どうしたらいいのでしょうか? |
大野 |
イプラスジムさんの活動のように実践と結びつけて啓蒙することがすごく大事なことだと思います。さらに私の持論である地球人の立ち位置、広く深い東洋の全体性と循環性を理解いただき、内観共振法により心と体のバランス状態を整えることをお薦めします。 |
志賀 |
そうですね。この対談や先生のご著書を通じて、現状と進む道をお伝えし、ご理解いただく人を増やしていきたいですね。私たちの活動や先生との出会いを意味のあるものにしていきたいと思います。話は尽きませんが、本日のところはここまでにしたいと思います。興味深いお話をたくさん伺うことができました。どうもありがとうございました。 |
大野 |
こちらこそありがとうございました。 |