志賀 |
日ごろはイプラスジムの活動をカウンセリングの立場からご指導いただきましてありがとうございます。 |
阪本 |
こちらこそありがとうございます。 |
志賀 |
かねがねお聞きしたかったのですが、先生は哲学を専攻されていたそうですね。 |
阪本 |
はい。御茶ノ水女子大学の哲学科を出ました。 |
志賀 |
哲学は、目に見えないものの本質を究めていくものですよね。現代のような結論を急いで求める社会にはあまりなじまない。答えが出ないような難問を一生懸命考える大変な学問でしょ? よほど頭がよくなければ務まらない、そのような学問を学ぼうと思われたきっかけはどういうことだったのですか? |
阪本 |
ただ一つのことを飽きもせず、懲りもせずに扱ってきたといいますか・・・今、先生のおっしゃられたように、答えのないことを考えるというプロセスが好きなんです。 |
志賀 |
へぇ・・。その哲学科の中の倫理学を専攻されたとのことですが、倫理というのは人の行動規範を論じるものですよね。時代や地域によって倫理観が一八〇度違うじゃないですか。普遍を論ずる哲学とはかなりかけ離れているような気がしますが・・・。 |
阪本 |
人間は頭だけ、精神だけ、あるいは、身体だけでは生きていけない。つまり両方が合わさってこそ考えることができると思います。ですから、現実に即した倫理学と思考を重んじる哲学というのは、お互い離れているようでいて、実は一番近い学問ではないかと思うんです。 |
志賀 |
そういうものですか・・・。それから、ニーチェについてもだいぶ研究されたと伺いましたが。 |
阪本 |
はい。 |
志賀 |
そこで、この対談に備えてEBAの事務局長からニーチェが晩年に書いた『アンチクリスト』の現代語訳を拝借して、にわか勉強したんですが・・・この本、分かりやすくていい本ですね。これを読むとニーチェはキリスト教のやり方や考え方をものすごく批判していますよね。先生の所属されているノートルダム清心女子大学はキリスト教でしょ? ちなみに先生ご自身はクリスチャンですか? |
阪本 |
はい。 |
志賀 |
それはびっくりですね。その大学で「ニーチェ論」も指導されている。いじめられないですか? 学生さんも戸惑うと思いますが・・・。 |
阪本 |
いえいえ、大学も心が大きいですから・・・。人や組織は、知人や内部からの健全な批判を排除していては腐ってしまいます。ニーチェは、腐りかけたキリスト教に向かって、強く関関心を寄せる者だけができる強烈な批判を行ったのではないでしょうか。 |
志賀 |
なるほど。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」ということですね。批判を排除するのではなく、聞く耳を持つ、立ち止まり、考えるための問題提起をしたということですね。それにしても、辛らつに厳しい批判をしていますね。 |
志賀 |
そのノートルダム清心女子大学で講師をされていますが、どのような講座で指導されているんですか? |
阪本 |
人間生活学科で、人間関係学を教えています。 |
志賀 |
これまた複雑な現象を学問にするので大変でしょう? ファジーな対象ですからなかなか科学的な手法になじまない。でも現代社会において一番大切な問題かも知れませんね。昨今の悲惨な事件は人間関係のこじれが原因のようですから。 |
阪本 |
ええ。今一番関心があるのは親子関係です。 |
志賀 |
親が子を殺す。子が親を殺す。昔もなかったわけではないですが極めてまれで、こんなに頻発はしませんでしたよね。かつて学級崩壊が問題になりましたが、今や家庭崩壊が深刻な問題ですね。 |
阪本 |
そうですね。親子関係は反省による修復が難しい関係だと思います。反省したときには、子どもにある程度の影響を与えてしまっています。子どもの教育というのは、学習、即実践が大事なのではないでしょうか。授業では、実際にあった児童虐待のケースを紹介して、母親の状況、例えば、ストレスの有無などの背景を検証し、それがどのように事件に関わり発展したか、いかに対処すればよいかなどを学生たちに考えてもらっています。 |
志賀 |
なるほど。母親になる前の学生時代からそうした事実を知り、疑似体験をすることは大切ですね。しかし、今は結婚しない女性の割合がどんどん増えていますし、結婚してもすぐに別れてしまう。それから子どもへの虐待も多く、かなり残酷さを増していますね。子供は子供でコミュニケーションがうまくいかず引きこもってしまう。これはニーチェが一〇〇年後の社会を予言した通りになっていますよね。 |
阪本 |
そうですね。ニーチェは、キリスト教の価値観は一元主義で、善か悪の一つしかないと指摘していまいます。自分がよかれと思うことが、いろいろな人と調和していることが望ましいのですが、なかなか難しいですね。人と同じでなくてもよい、違って当たり前だということを自分自身で判断できる強さを持っていれば、揺らぐことも、人と争うことや引け目を感じることもないと思うんです。多様性を認めたうえで自分の価値観に自信を持つことが大事なのではないでしょうか。 |
志賀 |
昔は兄弟が多くて、兄さんは勝手なことをする、妹はわがままでやかましい、その中で自分がどう行動したらいいか無意識ながら争わない知恵を身につけてきた。食べ物の奪い合いとか殴り合いをして痛い目に会う体験から、人を殴らない方がいいという暗黙の学習をする中で多様性を身につけてきましたよね。ところが一人っ子だとそういう学習のチャンスがない。隣の子とけんかすると親が出てくるような社会構造だと、争いを避ける人間関係を身につけるチャンスがないですね。 |
阪本 |
そうですね。子供が小さいうちから、親をはじめ、周りの大人が本当の痛さとか辛さ、あるいは、本物の美しさに触れる機会を与えることが大事だと思います。これは学校だけではなくて、家庭や地域など、どこでもできるといいですね。また、自分に適切なものを自ら選択する力というのは、ほっておくとなかなか育たないものです。規範に従うことが必要な時期が誰にでもあります。そのときに一元的な価値観を押し付けて、子供からの反発をすぐに受け止めて逃避させるのはよくないと思います。例えば、学校が嫌となったとき、親がすぐに転校させるのではなくて、ある程度は我慢させ、その我慢が、爆発する前にそこから解放することが大事です。こういった自分自身の価値観を持つためのプロセスの構築を、本人はもちろん、保護者など周りの大人も理解していることが必要だと思います。 |
志賀 |
るほど。七田眞先生の七田式教育法が実践できる「七田チャイルドアカデミー」では、幼児に多くの体験をさせて、特に自然に触れることで、自然のすばらしさを体験的に味わせ身につけると感性が豊かになるそうです。しかし、それが社会全体に受け入れられているかというと、ごく一部の活動になっています。これが幼稚園や小学校の低学年に浸透すればいいのですが、まだそこまでいってないんですね。 |
阪本 |
そうでしょうね。ニーチェがキリスト教的な環境で生まれましたが、そこには批判者を内部から生み出すだけの厚みがあるからだと思うんですね。日本も、どんな人でも受け入れられるような文化や社会の厚み、暗さも含めた俯瞰をもった社会になればいいなと思います。どのような弱者や少数者も排除しない社会、どんな状況の子どもでも特別視しない、そういった環境を作るための教育プログラムを、日本も取り入れてほしいと思います。 |
志賀 |
人は本能的に安心・安全を求める。同じ考えの人だけを集め、反対の意見を持つ人は排除する。そうすれば個人的にも組織的にも安心していられる。でも結果は皮肉にも安全でない状態になってしまう。独裁組織がいい例ですよね。 |
志賀 |
話は変わりますが、私たちはいまイプラスジムで脳力開発トレーニングをしていて、その目的は自己実現、つまり目標達成や願望実現を目指すわけですが、言い方を変えると欲望の追求でもあって、私利私欲に走りかねない危険性をはらんでいます。個人の倫理観が歯止めになっていますが、目標達成と我欲とのどこにボーダーラインを引いたらいいのか迷うことがあります。社会倫理の立場ではどういう風にお考えですか。 |
阪本 |
目標を設けても途中で変えなければいけないときに、社会の場合ですと目標を動かすのは難しいですが、個人の場合は、それを変えていく、あるいは、公共の目標と離れてもいいという価値観、多様性がこれからは必要だと思います。ですが、本来は、個人と社会の目標は一致していないと平和にはならないですよね。 |
志賀 |
個人と社会との融合がうまくコントロールできず、個人の利する方向へどんどん走ると、いま問題の社保庁のようなことが起きる。社会は滅茶苦茶な状態になっているけれど、そこに勤める個人は仕事が楽で幸せを感じている。福祉関係の仕事も、理念は社会に役立つことを目指しているのに、実際は補助金を目当にした利益の追求で個人の欲がからんでいる。このような個人と社会とのずれを調整するのが政治でしょうが、それが強いと社会主義になり、弱いと自由放任。今の世の中は経済成長が優先でしょ? 経済が豊かになれば、そのゆとりで格差も是正できるし福祉へも手が回る。だから皆が経済成長を望む。ところが、経済成長はあくまでも手段で目的は皆の幸せなのに、いつの間にか経済成長が目的になってしまい合理主義や成果主義が幅を利かす。あげくの果てに社会倫理を無視して産地や賞味期限をごまかし、粉飾決算をする。成長を目的にすれば当然の結果ですよね。当事者を含め、誰も幸せになっていない。何かよい方法はないものでしょうか? |
阪本 |
ニーチェに「大いなる利己主義」という言葉があります。それは、個人の利己主義とは違って、自分はある社会なり組織の一員であり、もっというと歯車であるということを自覚した上で追求すべき利己主義です。つまり大いなる利己主義は、自分は社会の一員であるという自覚があって初めて許される利己主義です。そうして個々人がそれぞれの利己主義を追求していけば、社会の大きな目標は達成されるとニーチェは考えたようです。しかし、今は個人が社会の歯車であると自覚する人も少なく、大いなる利己主義を唱えるほどの国家やイデオロギーもありません。個人の利己主義を追求すると、社会は、ばらばらになっていかざるを得ない運命なのかなと思います。この構造が社会の中でひずみとして表れているのではないでしょうか。 |
志賀 |
イプラスジムでは、自分の目標達成をイメージするとき、家族や友人、職場の仲間たちも一緒に喜んでいるシーンを描きます。自分だけが喜ぶのではなく、回りの人にも喜びがもたらされることが大切だと考えていますが、ニーチェの大いなる利己主義の考え方と似ていますね。 |
阪本 |
キリスト教には、利他主義という考え方があります。「汝の隣人を愛せよ」という言葉のように、自分よりもまず人のことを慮って、人のために奉仕することです。しかし、ニーチェは、それは偽善だと言うんですね。 |
志賀 |
脳の構造から考えますと、まず自らの喜びを求めて行動するようになっているので、ニーチェの言うように利他主義は偽善になります。自分がOKで、さらに自分の世界を家族や友人、そして職場の仲間さらに日本や世界がOKという風に広げていく、まずは自分が健康で満足できないとだめなんですね。 |
阪本 |
確かにそうですね。まずは、自分というものがないとだめですね。大いなる利己主義というのは、ある意味、利己主義も利他主義もひっくるめて結局すべてを満足して受け入れていこうという思想だと思います。 |
志賀 |
なるほど。人のために何かをすることは素晴しいのですが、その前に人に迷惑をかけないことが前提ですよね。よく感謝の心が大切、何事も感謝しましょう、と言われますが、自分の喜びと満足感が高まれば、自然に感謝の気持ちが湧き出てきますよね。だから「よかった!ありがとう!」の呼吸を大切にしたいと思うんです。 |
志賀 |
ところで、阪本先生がイプラスジムに関心を持たれたきっかけをお聞かせください。 |
阪本 |
脳の力を開発し、研究するということに惹かれ、実はトレーナーを募集していたときに応募したんです(笑)。 |
志賀 |
スタッフ達の話しでは、阪本先生のような経歴をお持ちの方がトレーナーに応募されて来られたのでびっくりしたそうですよ(笑)。 |
阪本 |
(笑)。 でも・・・ 不合格でした(笑)。 |
志賀 |
いえいえ、トレーナーとしてではなく、顧問になっていただきたかったのですよ。実はイプラスジムのトレーナーが会員さんからいろいろ相談を受け、イプラスのプログラムで解決できることと、それではカバーできない問題がありますね。アドバイスするときに、同情して良い場合と同情してはいけないこと、本人なりに頑張っているのに、下手に励ましてもだめという場合がありますよね。こういうカウンセリングの基本、やってはいけないこと、やった方がいいことを学ばないといけないと強く感じていたんです。私たちにはカウンセリングの技法を知らず困っていたときだったので、渡りに船と言っては失礼ですが、阪本先生とのご縁ができて大助かりでした。 |
阪本 |
EBAの事務局長のご提案でカウンセリングという部門を設けていただき本当にありがたく思いました。私のカウンセリングの究極の目標は、カウンセラーという専門職が世の中にいなくなることです。日本中が一億総カウンセラーでいっぱいになって、横の人、あるいは身内が語りかけ、そこで問題が解決できる開放的な環境を作ることです。そうした思いをベースにトレーナーのみなさんにカウンセリングのノウハウをお伝えしていきたいと思います。 |
志賀 |
現在の私どものやっている活動をご覧になって、疑問や気になるところなどありませんか? |
阪本 |
全くないです。志賀先生のお話を聞き、脳はいろいろな可能性を持っているということを目の当たりにしました。また、ビジョントレーニングで感じた目の力というのは、私が今まで抽象的に考えていた価値観を多様化するには、目を鍛えることも必要なんだということも知りました。理論と実践がこういう形で結びつくのだということを改めて体験させていただき思考が広がりました。 |
志賀 |
全国のトレーナーは年齢の若い方が多いので、脳力開発のいろいろな技法を伝えるというトレーナーの仕事は充分こなしてくれているのですが、カウンセリングの部分では悩むこともあると聞いています。今後もご指導いただき、さらに脳力開発トレーニングを広めていく活動をご支援ください。今日はどうもありがとうございました。今後もよろしくお願いします。 |
阪本 |
こちらこそどうぞよろしくお願いします。 |